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大岩山の地形
大岩山は近江富士とも呼ばれる三上山の裾野から広がる丘陵地帯の先端部に当たります。
この大岩山の丘陵から24個の銅鐸が見つかりました。土砂採集で丘陵は掘削され今は平地になっています。
大岩山の立地と地形
三上山は標高432mの円錐形をした美しい山で「近江富士」と呼ばれており、周辺には高い山がないため野洲川下流域からはよく見えます。太古の人たちも美しい山を目印とし畏敬の念を持って眺めていたと思われます。
出土地の地形
三上山と銅鐸出土地 [地図は埼玉大学「Web等高線メーカ」利用]

三上山の裾から北側にこぶ状に丘陵地帯が伸びており、その先端近くに大岩山銅鐸の見つかった場所がありました。古墳時代には、丘陵地の先端部に大岩山古墳群が築かれるようになります。古くから聖なる地と見做されていたようです。
この丘陵地は花崗岩から成り立っており、長年風雨にさらされてもろくなっていて、土砂の採取にはうってつけの場所でした。大きな岩が露出していたのでしょう、明治初めに地名が「大岩山」と改名されたという経緯があります。
国道8号線の敷設工事の時、必要な土砂を得るために、丘陵地の最先端部が掘削されました。その後、東海道新幹線の建設工事の時にもこの丘陵地帯を掘削して土砂を採取しまし た。そして、この時に銅鐸が10個見つかったのです。
土砂採取で丘陵先端部は喪失してしまい、今は平地になっています。

銅鐸が見つかった場所
上の「銅鐸出土地」を拡大したのが下の図です。 銅鐸は、★印で示した3か所から出土しています。
大岩山地図
大岩山古墳群と銅鐸出土地 [出典:「大岩山出土銅鐸図録」銅鐸博物館]

丘陵地先端の古墳は残されましたが、銅鐸発見地に近い大岩山古墳、大岩山二番山林古墳は掘削されなくなっています。
銅鐸が最初に発見された明治14年には、これらの古墳は周辺住民に知られており、ここは汚してはならぬ神聖な場所であると認識されていました。
銅鐸が発見される7年前に、大岩山古墳からは古鏡や管玉、勾玉などが見つかっており、甲山や円山は古墳と認識されており、巨石からなる岩屋があったとされています。
その大岩山古墳から丘陵地を上った斜面から山頂にかけて銅鐸が見つかっていました。
昭和37年に見つかった流水紋銅鐸が山頂近くに埋まっており、そこから約50m下がった所に昭和のその他の銅鐸の発見場所がります。そこから山の裏側に40mほど回り込んだところに、明治発見の銅鐸発見場所があります。
これらの場所は、いずれも発見者から聞き込んだ推定の発見場所で、正確な出土位置は分かっていません。

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