銅鐸の形式の命名
銅鐸の分類は、文様や形で分類されることもあったのですが、佐原真さんが形式分類学という手法で、鈕の形式の変化を基に銅鐸の分類と制作の時系列を判定され、それが使われています。
【最古段階 T式銅鐸】=【菱環鈕式銅鐸】
吊り手の鈕の断面が菱形をしています。それが環状に(正確には逆U字型)なっているので「菱環鈕式」と命名されています。 銅鐸の祖型と言われている朝鮮の小銅鐸の吊り手は円形なので、銅鐸とは大きな違いがあります。 また、朝鮮の小銅鐸には鰭がないのですが、銅鐸には一番古いものから鰭が付いています。 我々のご先祖はなぜ吊り手を菱形にしたり、鰭を付けたりしたのか分かりませんが、ここに日本オリジナルの独創性があります。 以後、造られる銅鐸の吊り手には、必ず「菱形」の形状が付けられており、「吊り手は菱形」で あることに強いこだわりがあったようです。【古段階 U式銅鐸】=【外縁付鈕式銅鐸(外縁付菱環鈕式銅鐸)】
銅鐸を美しく見せるためと思われますが、菱環の外側に薄板が付けられます(下図 左)。外側の縁に飾が付くので 「外縁鈕式」と命名されています。 そうしてこの薄板部分に紋様を付けて飾り立てるようになります。
外縁付鈕式の吊り手 |
扁平鈕式の吊り手 |
[イラスト:田口一宏] |
【中段階 V式銅鐸】=【扁平鈕式銅鐸(内外縁付菱環鈕式銅鐸)】
ご先祖は、より美しく見せるため、釣り手の内側にも薄板を付けました(上図 右)。内側なので「内縁」と呼びます。さしずめ、「外縁内縁付鈕式」となりそうなのですが、菱環自体も小さくなり、鈕全体が平べったく扁平になるので「扁平鈕式」と命名されました。
この形式の銅鐸はまだ「聞く銅鐸」で、ぶら下げて鳴らしていたと思われます。
本来、荷重を支えるための菱環が内側に入り、本来の目的を果たさなくなっています。
形も次第に大きく重くなってきた銅鐸を、薄い内縁部分で支えるのは力学的に難しいと思うのですが、実際にはどのようにしていたのでしょうか?
【新段階 W式銅鐸】=【突線鈕式銅鐸(突線飾付扁平鈕式銅鐸)】
外縁部や内縁部は幾何学的な紋様で飾られるのですが、同心円状に何段も飾るためでしょうか、突線と呼ばれる2本、3本の太い区切り線を付けるようになります。菱環はますます小さく薄くなり痕跡を残すのみとなりますが、無くなりはしないのです。
このように、本来の目的を達することが出来なくなった物をデザインとして残す(あるいは無意味に前例を踏襲する)・・・というのが人の習性なのか、おかげで「形式分類学」として銅鐸の新旧の時系列判定が出来ているのです。
さらに、痕跡となってしまった菱環を複数本入れるデザインに進展していきます。
突線鈕式の吊り手 [イラスト:田口一宏] |
大岩山M1銅鐸(複製)の吊り手 [写真:野洲市歴史民俗博物館] |