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同笵銅鐸
同笵銅鐸とは
石製の鋳型では複数個の銅鐸を作ることが出来ます。
同じ鋳型から作られた銅鐸を同笵銅鐸と言います。これまで見つかっている同笵銅鐸は石製がほとんどですが、土製の鋳型でも2組作られた例があるようです。
従前、10数例の同笵銅鐸が知られていましたが、加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発見され、一気に同笵銅鐸の数が増えました。その後も同笵銅鐸の発見があって、現在では40数例が知られています。
石製鋳型は、T式(菱環鈕式)〜V式-1(扁平鈕式-1)までで、V式-2(扁平鈕式-2)から土製鋳型になったと言われています。
同笵銅鐸のほとんどはU式(外縁鈕式)の銅鐸で、V式(扁平鈕式)ではほとんど見当たりません。
V式の銅鐸は数が多いのですが、V式の石製鋳型が再利用されなかった理由は分かりません。サイズが大きくなったことが関係しているのかも知れません。
これまでの知見では、1つの石製鋳型で5個の同笵銅鐸が最高です。
特徴と分布
これまで見つかった同笵銅鐸の出土地をひも付けしたのが、下の図です。
近畿〜山陰〜出雲〜四国に同じ鋳型の銅鐸が広がっていることが判ります。
大多数がU式の銅鐸ですが、組合わせの内いずれか1つが近畿地方で見つかっているのがほとんどです。
出雲で作った鋳型で造られた銅鐸もあるようですが、鋳型の出土地から考えると、近畿地方で造られた銅鐸が各地に運ばれたようです。「近畿で作って地方へ配る」という統制がとられていたようです。
土製鋳型に変わってからは、地方で銅鐸を作るようになったようですが、政治的な配慮とか銅鐸の大型化などに関係すると考えられています。
同笵銅鐸の分布
同笵銅鐸の分布 [出典:「銅鐸を作る」銅鐸博物館] 
石製鋳型を使っているうちにひび割れが入って壊れていくために、補修をしながら次の銅鐸を作るが、いずれ使えなくなります。また、銅鐸に残された欠陥を銅鐸上で補修することもあります。
そのような痕跡を調べながら、同笵関係だけではなく、造られた順番までが分かります。
これまで1つの鋳型で造られた同笵銅鐸は5個だと書きましたが、その内の1つが守山市で見つかっている新庄銅鐸です。
新庄銅鐸と同笵銅鐸
新庄銅鐸と同じ石製鋳型でつくられた同笵銅鐸が他に4個知られています。 銅鐸表面の紋様や傷などの観察から製作順が判るそうです。
新庄銅鐸と同笵銅鐸
左から
@神戸市桜ケ丘1号鐸【所蔵・写真:神戸市立博物館】
A出土地不明 辰馬405号鐸【所蔵:辰馬考古資料館 写真:守山市教育委員会】
B守山市新庄銅鐸【所蔵:倉敷考古館】
C出土地不明 辰馬404号鐸【所蔵:辰馬考古資料館 写真:守山市教育委員会】
D鳥取県泊(とまり)鐸【所蔵・写真:東京国立博物館】

これらの銅鐸群は、流水紋が施され、一部に絵画が描かれています。
桜ケ丘1号鐸
桜ケ丘1号鐸[出典:桜ヶ丘発掘調査報告書(神戸市教委区委員会 橋詰清孝氏改変)]

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