伊勢遺跡
弥生時代後期の中頃、突如として巨大な祭祀空間が野洲川下流域に現れ、多数の大型建物が整然と建ち並びます。中国伝来の最新建築技術が使われた建物もありました。
これだけの規模の遺跡なのに出土物がほとんどなく、ここが特殊な空間であったことが判ります。
これだけの規模の遺跡なのに出土物がほとんどなく、ここが特殊な空間であったことが判ります。
伊勢遺跡はこんな遺跡
伊勢遺跡の建物(復元想像図) (CG制作:MKデザイン 小谷正澄氏) |
さまざまな形式の大型建物が計13棟も発見されており、それらが円と方形の組み合わせで計画的に配置されています。
直径220mのほぼ円周上に等間隔に配列された祭殿群、中心部には方形に配列された大型建物が立ち並び、柵によって囲われています。そばには楼観が建っています。
建物の型式・配列から見て、巨大な祭祀空間が存在していたと考えられています。
このような大規模な遺跡であるにも関わらず、大勢の人たちが日常的に生活していたような痕跡が見当たりません。大型建物群や周辺の溝からは生活遺物が出てこないのです。このような事実からも、この場所が特殊な位置づけの遺跡であることが推定されます。
多くの大型建物
多数の大型建物
伊勢遺跡の祭殿(独立棟持柱建物) (CG制作:MKデザイン 小谷正澄氏) |
このうち6棟はCGのような高床式独立棟持柱建物で、祭祀を目的にした建物と考えられています。
床の広さは4.5m前後×9m程度で、丁度、伊勢神宮の正殿とほぼ同じ大きさです。
このような大型建物がこれだけ集中して見つかる遺跡は他にはありません。
特異な建物配列
このような大型建物が、円周と方形の組合せで計画的に配列されており、他所では見られない配列です。 また、弥生時代のこの遺跡にすでに方形区画が見られることも特徴で、ここが特異な場所であることが分かります。【柵で囲われた方形区画】
遺跡中心部には、二重の柵の内側に大型建物を整然とL字型に配列した方形区画と呼ぶ特殊な空間が存在します。床面積86uのとりわけ大きな高床式建物を中心に、3棟の棟持柱をもつ建物が、正方位に合わせて、西側に配列されています。東側にも3棟の建物が並んでいたと推測されますが、後世の河道により破壊されていて確認できていません。
巨大な集落遺跡の中心部に、柵で方形に区画された中に大型建物を整然と配置していることがわかる遺跡であり、全国的にみても殆ど類例を見ません
伊勢遺跡の建物配置 (「守山市史考古編」を改変) |
方形区画内の建物配置 (CG制作:MKデザイン 小谷正澄氏) |
【円周上に配列された多数の建物】
円周配列の祭殿 (CG制作:MKデザイン 小谷正澄氏) |
これらの独立棟持柱付き建物は、床面積は約40uでほぼ等間隔に建っており、円周の中心に向いています。
伊勢遺跡の存続期間のなかで、計画的に円周上に建設されていったと推測できます。
このように、円周上に配置された建物群は、他に例がなく、この遺跡だけの特殊な遺構といえます。
日常品がほとんど出土しない
伊勢遺跡からは建物跡はたくさん見付かっているものの、日常用品の遺物はほとんど出土していないのです。生活臭がないのです。
周囲に掘られた大溝や区画溝からも遺物はほとんど出てきません。伊勢遺跡が廃絶されるときにも、きれいに片づけて清掃したように思えてなりません。この事実は、伊勢遺跡の特殊性を裏付ける大きなヒントです。
多くの大型建物、その特殊な配列などから、伊勢遺跡は巨大な祭祀空間と考えられます。